一度は諦めた野球。母の支えと恩師の激励で掴んだ夏の聖地 近田怜王さん(報徳学園出身)vol.3

一度は諦めた野球。母の支えと恩師の激励で掴んだ夏の聖地 近田怜王さん(報徳学園出身)vol.3

 兵庫が誇る全国区の名門校・報徳学園。「逆転の報徳」の異名で高校野球ファンに親しまれ、広島の若手注目株・小園 海斗や岸田 行倫といった現役選手、引退された選手まで見ていくと金村義明氏や清水直行氏など多くのスター選手を輩出した。その中の1人が福岡ソフトバンク、JR西日本でプレーをされた近田 怜王さんだ。

【動画】イップスに入院…苦難を乗り越えて 報徳学園を甲子園ベスト8に導いた近田怜王さんの今

 高校時代は最速145キロを投げ込む本格派左腕として世代を代表する投手として、2008年の夏の甲子園でベスト8進出に大きく貢献。プロからも高い注目を浴びてきた近田さんだが、イップスと向き合った道のりに迫る。

イップスに陥った近田さんを救ったのは恩師・永田監督との野球ノートだった

 2度目の甲子園が終わり、近田さんはイップスになってしまった。5メートル先の相手の胸元めがけて投げてもボールは足元にいく。この原因を近田さんはこのように振り返った。

 「責任感をもってやっていたんですが、それを感じ過ぎてしまったんだと思います。そこはメンタルの弱さだと思います」

 そんな近田さんのために動いたのが、恩師・永田裕治監督だ。

 「練習に復帰して1週間後くらいの8月末に『練習で日々感じていることや、考えていることを教えて欲しい』ということで、野球ノートのやり取りを始めました。どうしてもふさぎ込んでしまうところがあったので、思っていることを毎日にノートに書いて、毎朝職員室の永田監督の机に提出するようになりました」

 普段は口数が少ない永田監督からの提案に驚かされた近田さんだったが、ノートには日々の練習に対する取り組み方やチーム内の自分の立ち位置。さらには自分がチームにどのような影響を与えているのかなど、ノートに書き記していった。

 永田監督はそれに対して赤線を引き、一言コメントを返す。そのやりとりを日々続けたが、当時の近田さんにとっては心の支えになっていた。

 「『チームに自分は必要ない』とか書いたこともありましたが、その時は、『エゴだ』とか『それは違う』とか人間的にどうなのか長いコメントで返してくれました。自分の弱い部分に対して時にやさしく、時に厳しく指導してくださり色んなことを学ばせてもらいました」

 ただ2年生の秋は野手としての出場にとどまり、投手としての登板はなし。投手として試合で投げたのは3年生の春の地区予選だった。

 「冬の時点では、まだ調子の波が激しかったのですが、投げさせてもらったんです。ただその時には『試合は違う』と感じましたし、負けてしまったんです」

 報徳学園は地区予選の準決勝の甲南に2対3でまさかの敗戦。秋は近畿大会まで進んだチームが県大会にすら進めなかった。その試合で投げた近田さんにとっては大きなダメージだった。

 「悔しかったですし、『夏は無理だな』と一度決めつけてしまいました。思わずグラウンドに移動している時に母に『野球やめるわ』と言ってしまいました」次ページは:思ったように投げられる楽しさを感じた最後の夏

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