甲子園初、決勝で延長18回引き分け エースは後に語る

甲子園初、決勝で延長18回引き分け エースは後に語る

 1969年7月20日、アポロ11号の月面着陸の瞬間を、日本中の人たちがテレビにかじりつき、見守っていた。その1カ月後にまた同じ現象が起きた。今度は第51回大会、夏の甲子園決勝が映し出されている。松山商(愛媛)と三沢(青森)が対決している。延長戦に入ってもまったく点が入らない。史上まれな大熱戦に、百貨店のテレビ売り場などには黒山の人だかりができた。

【写真】決勝で松山商を抑え込む三沢のエース太田

 松山商の主戦井上明は制球が抜群。三沢のエース太田幸司は豪速球が武器だ。

 淡々と進んだ試合は、十五回裏に大きく揺れ動いた。「打撃には自信があった。自分が打たないと点が入らない」と思っていた三沢の5番菊池弘義の安打をきっかけに失策、敬遠四球で1死満塁。松山商・井上はスクイズを警戒してカウントを悪くし、ノースリー。絶体絶命だ。甲子園は三沢の東北勢初優勝を期待する熱気が渦巻いた。

 だが、井上は粘った。ふたつストライクを取る。「同じフォーム、同じリリースポイント、同じタイミングで投げれば同じところへいく」。深夜に及ぶ練習で体に染みついていた。

 フルカウントからの6球目。9番立花五雄はスクイズではなく、バットをコンパクトに振った。鋭いゴロが井上の右に飛んだ。中堅に抜ければおしまい。しかし、井上は横っ跳びに飛びつき、グラブの先で打球の勢いをそいだ。方向が変わり、遊撃・樋野和寿の正面へ。バックホームの送球はど真ん中。間一髪、滑り込んだ三塁走者の菊池より早かった。

 井上は後年、こう語った。「あの試合で自分が誇れるのは、(あの打球に)飛びついていったこと。愛媛の歴史、高校野球に対する歴史があるから自然に身につくものがある」

 十五回裏をしのいだ直後、十六回裏もピンチが襲う。失策もからみ、また1死満塁。「井上が四苦八苦しとるのに、何でや」と失策をうらめしく思いながらも、捕手の大森光生は冷静だった。前のイニングが強攻だった。今度はスクイズが来ると読んでいた。

 カウント2―2。ここで、打者と三塁走者が同時にヘルメットをさわるしぐさを見せた。瞬間、スクイズのサインだと確信した。「ぼくらは選手のしぐさを脳裏に焼きつけとる。サインが出ると必ずふだんと違う動作をする。それを見抜くアンテナを立てとるんです」と大森。次の球を外し、併殺で無得点。試合は決勝で史上初の延長18回引き分けとなった。

 翌日の再試合。井上、太田とも疲労困憊(こんぱい)。松山商はもうひとりのエース級、左腕の中村哲がおり、継投できたのが大きかった。松山商が4―2で4度目の全国制覇を飾った。

 三沢のエース太田に取材したとき、こう話したのが印象的だった。「優勝より、0―0でよかったのかもとも思う」。東北勢初優勝という記録に残っても、これほどは人々の記憶に残らなかっただろうから。=敬称略(酒瀬川亮介)朝日新聞社